社長の健康履歴書
社長あいさつ

家族の笑顔を応援します。
株式会社上薬研究所の存在目的についてお話させていただきます。
当社の存在目的、それは「家族の笑顔を応援します。」です。
もしも明日、地球が滅亡するとしたらあなたは何をしますか?
この質問への答えが当社の存在目的の原点です。
私の場合は「いつものように妻のおいしい手料理を食べながら
家族団欒いろいろなことを話し合う。」です。
当社のメンバー達も家族にまつわる答えが多かったようです。
あらためて人生にとって本当に大切なものを認識させられました。
多くの家族が笑顔に包まれている、そんな社会なら
きっといじめは減るだろう。
きっと犯罪は減るだろう。
きっと争いごとは減るだろう。
そしてそんな社会では皆が助け合いながら幸せの中で過ごすだろう。
お母さんが笑顔の家庭ではお父さんは外での疲れを癒し自分らしさを取り戻すだろう。
子供たちはそのぬくもりの中で安心感に包まれ自分の可能性に夢を馳せるだろう。
もちろんペットも大切な家族の一員。
そんな社会の実現を夢見て、目の前の一つ一つの家族の笑顔を応援したい。
株式会社上薬研究所はそんな想いを実践する One and Only な企業です。
株式会社 上薬研究所 代表取締役 田中愼一郎
誕生~幼少期はとても病弱な子供
昭和37年2月26日、東京都渋谷区にて体重3,790gの元気な赤ん坊として誕生しました。
しかし幼稚園の頃から、ちょくちょく熱を出すようになりました。
あの当時、遠足や運動会など、何度か病気で参加できずにとても悲しい思いをしたのを今でも覚えています。
小学校に入ると、少しでも身体が強くなるようにと水泳教室に通わさせられましたが、扁桃腺炎、腎盂炎や神経性胃腸炎で学校を休むこともしばしば。
近所の都立病院の小児科ではカルテが一番、分厚い子供として看護士さんの中でも有名でした。
思春期からは徐々に改善

リラックスできていたせいか、ほとんど病気にかかることはなくなりました。
中学生時代は水泳部で、高校生時代はアーチェリー部でその後も心身を鍛え、健康状態は徐々に良くなり、あまり熱を出すことはなくなっていったのですが、慢性的に下痢症状が続き、健康状態は不安定でガリガリに痩せていました。
大学生時代には学内の開放的な雰囲気の中、テニスに打ち込んだりと、リラックスできていたせいか、ほとんど病気にかかることはなくなりました。
社会人になり、ストレスから持病が
大学を卒業後、銀行に就職すると、仕事のストレスのせいか、今度は突然の偏頭痛に苦しむように。
割れるような頭の痛みと吐き気が週に2、3回のペースで継続的に起こり、もうこれは長生きできないのではないだろうかという状態が10年以上も続いていました。
そして霊芝との出会い

飲み続けていく内に、気がつけば一年中、風邪を引くこともなく、あれほど苦しめられ続けた偏頭痛からも解放
その頃に家業に戻り霊芝と出会い、飲み続けていく内に、気がつけば一年中、風邪を引くこともなく、あれほど苦しめられ続けた偏頭痛からも解放され、さらに暴飲暴食をしていたにもかかわらず、健康診断ではどの項目も引っかかることがなく、久々にとても健康的な日々を過ごせるようになったのです。
その一方で、そんな状態に油断して、変わらず暴飲暴食を繰り返していたために、体重はどんどんと増えていって、身長179㎝で体重が83㎏、体脂肪30%と、肥満寸前のムチムチの身体つきになってしまいました。
マラソン人生のスタート

そこで38歳の時にダイエットのためにジョギングを始め、それをきっかきに翌年にはフルマラソン(ホノルルマラソン)を初完走!
そしてその趣味が高じてフルマラソンはこれまでに約30回走り、さらに50歳を越えた今、毎年2回、国内外の250㎞マラソンレースを走るまでになり、まだまだ自己ベスト記録を更新し続けています。
そんな私が今も周囲から言われるのは「そんな年になんて全然見えない!」「その元気はいったいどこから来るの?」と。
あれだけ身体が虚弱だった私が、この年になっても過酷なマラソンを完走し続けることができるほどにとっても元気で、そしていくつになってもまだまだ若々しくいられるとは。
そして家族も両親も
そしてそれは私だけのことではありません。
私の家族はもちろんのこと、80歳前後となる実の両親も妻の両親も霊芝を飲み続けているお陰で、ほとんど病気をすることもなく健在でいてくれることは、ありがたいかぎりで。
私の年齢で親が4人とも元気に揃っていてくれているというのも、昨今の世の中では、なかなかないことかもしれません。
本当に霊芝が私の人生を大きく変えてくれたことは間違いありません。
霊芝との出会いにはもう感謝、感謝しかありません。